アニメを見て涙を流したのはいつ以来だろう。ファフナーEXODUSで羽佐間カノンが”いなくなった”とき以来だろうか…。

 結論から離しますと、ウマ娘第7話を見て、僕は泣きました。



 
第七話はサイレンススズカ次走に天皇賞(秋)を走り、更にジャパンカップを走った後、アメリカのレースに挑戦するつもりであることをスペシャルウィークをはじめとしたチームスピカの面々に伝えます。

 どうやら、これは史実でも計画されていた事であるようで、ゆくゆくは欧州のG1である凱旋門賞を狙った計画だったようです。
 しかしながら、残念なことにこの計画が叶う事はありませんでした。

 話は再びアニメへ。天皇賞(秋)には、打倒サイレンススズカを狙うウマ娘たちが東京競馬場に集結。(リアルではエルコンドルパサーには外国産馬ということで資格がなく出場できなかったのですが、)エルコンドルパサーなどが闘志むき出しでゲートへ。
 1998年11月1日1枠1番、1番人気サイレンススズカ。「こんなに1が並ぶのは珍しいですね」とアナウンサー。
 ゲートが開き、得意の大逃げで2番手以下に信じられない差をつけて加速していくスズカ。はじめの1000mを57秒台というハイペースで飛ばし、他のウマ娘はついていけない・・・。
 しかし、東京競馬場の大欅を過ぎたあたりで、スズカの左脚に異常が起こる。助けようと飛び出していくスペシャルウィークとトレーナー。スズカは左足を骨折し、再起を目指すことになった。

 現実でもそれは大欅を過ぎた第3コーナーで起こった。突如サイレンススズカの左脚が故障(複雑骨折)した。専門家に言わせると、サイレンススズカは激痛で鞍上の武豊騎手を振り落としてもおかしくなかったらしい。しかし、サイレンススズカは他のウマの邪魔にならないようコーナーの外側へ、最後の力を振り絞って歩き、相棒である武豊を下した。この行動により殆ど後続のウマに影響は及ぼさなかった。残念ながら、現実はスズカの左前脚の骨折は重篤であり、治療ができないと判断され、安楽死の処置がとられてしまったのだった・・・。





 もし、スズカがあの事故無くやれていたら・・・。あの事故があっても復帰してくれていたら・・・。昔からの競馬ファンの多くが恐らく感じたであろう想いを、アニメウマ娘は叶えてくれました。

 最後に特殊EDまで・・・。涙が止まりませんでした。