先日、某大臣が「日本でCOVIDー19がそこまで流行しなかったのは、民度の違い」と発言した。
 これは強ち間違いではないと私は考える。政府がこれといった十分な補償案を提示しない中で、政府は「自粛をお願いする」などという奇妙な日本語を用いて国民を「自粛“させ”」、台湾には劣るものの、結果的にコロナは終息の兆しを見せている。

 しかしながら、これを「民度」と表現した某大臣は、どうやら浮世離れしてしまっていて、国民生活などご存知ないようだ。「民度」という単語で片付けられているが、今回のコロナ禍ではっきりしてしまったことが、現代日本に於いても、同調圧力というものが健在であり、それによって国民は補償がなくとも「休職や退職をせねばならない」ような状態になり、結果としてコロナが収束に向かっているのではなかろうか。

 コロナ禍の収束という点から言えば、この同調圧力は(政府よりも)仕事をしたと言える。しかし、今回の出来事によって、同調圧力を他人にかけたがる人々というのは沢山炙り出された。

 第二次世界大戦の時、同調圧力があって、様々な国民生活が自粛を強いられたと聞いたことがあるが、それが実は過去の話ではなく、現代の日本にも残っていた、という恐怖をおぼえた。

 年月が経とうとも、ヒトというのは案外変わっていないものだったのだ。